彦根城

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2月下旬、滋賀県彦根市の彦根城を訪れました。姫路城や松本城などとともに国宝天守5城の一つです。堅牢な設計を体感しました。

彦根城は、関ヶ原の戦いにおいて徳川方として功績を上げ、彦根藩35万石を治めた井伊家の居城でした。16代藩主は江戸幕府の大老を務めた井伊直弼です。

城は金亀山に建てられた平山城で、二重の堀に周りを囲まれた中にありました。外観は美しく、屋根の形がそう感じさせるのか、一見、柔らかな印象を受けました。
ただし外観の印象とは違い、敵を天守に近寄らせない、さまざまな工夫(トラップ)が施されていたことに感心しました。

城郭の周囲に張り巡らされた高い石垣。天守へ向かう石段は、歩きにくいなと実感しました。それもそのはず、段差や幅があえてばらばらにしてあり、普通に歩いていると、端へ端へと寄っていってしまう感じです。天守へ通じる廊下橋は万一のとき、橋を落とせる仕組みになっていました。城内には外からは分からないよう隠された鉄砲狭間や矢狭間が数多く設けられ、近づいてくる敵兵を上から狙い撃ちできるようになっていました。

さらには、手すりがなければ上れないような急階段など、難攻不落を目論んだ城だったに違いありません。ただ、これほど守りを固めたものの、彦根城は攻め入られた歴史がありません。従って、実証されたわけではないものの、徳川側にしてみれば、豊臣側に対峙する西の重要な防衛拠点だったのだろうと思います。

彦根を訪れて改めて考えたもう一つのことは、歴史の評価についてでした。

幕末の大老井伊直弼は「桜田門外の変」で暗殺されました。35歳で藩主になるまで直弼が住んでいた屋敷「埋木舎(うもれぎのや)」は彦根城の傍らに現存していました。

井伊直弼といえば、今では「安政の大獄」に象徴される強権的、悪役的なイメージが強いように思いますが、果たして、その真意は徳川幕府の権威と秩序を守ろうとしたのか、自らの独断専制を守るための権力闘争だったのか。

今回、映画「桜田門外ノ変」を見てから彦根を訪れてみると、やはり、直弼に対する地元の見方はそれとは違いますね。

「あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」
彦根城に向かう道沿いに井伊大老歌碑が立っていました。幕府大老としていかに国政に力を尽くしてきたかを詠んだものと説明されています。

桜田門外の変は、尊皇攘夷が勢いづき、260年続いた江戸時代に終止符を打つ大政奉還、明治時代へとつながっていくきっかけとなりました。歴史の転換点となる大事件だったと思います。

佐幕派、討幕派の思いが複雑に絡み合い、噴出する激動の時代だったのです。大老直弼の言動を一面的に捉えることはできないでしょう。
歴史は勝者の記録だと言われます。彦根の人々にとって井伊直弼は今も特別な存在であり、歴史は勝者の記録に過ぎないのかもしれません。

宿泊したホテルから、夜間ライトアップがされた彦根城をよく見ることができました。この夜、空には三日月がくっきりと輝いていました。

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