5月下旬、富山県黒部市の宇奈月温泉を訪れ、黒部峡谷トロッコ電車で、終点・欅平(けやきだいら)までの間を往復しました。大自然の風景を楽しみながら、今につながる電源開発のために、山あり谷ありの未開の地を開拓した先人たちの足跡に思いを深めました。

黒部峡谷を流れ下る豊富な水と急峻な黒部川を利用し、水力電源開発が始まったのは大正時代のことです。最初に計画したのは、アドレナリンなどを発見した化学者の高峰譲吉(富山県高岡市生まれ)です。事業家でもあった高峰は、アルミニウム製造に必要な電力を求め、大正6年(1917年)に黒部川の調査を開始。調査は、後に「黒部開発の恩人」と呼ばれた土木技師山田胖(ゆたか)が先導しました。
高峰の死後、日本電力(関西電力の前身)が計画を引き継ぎ、大正12年、初代社長の山岡順太郎は、発電所を建設するため、資材や作業員の輸送を目的とした黒部専用鉄道の敷設工事に着手。昭和12年(1937年)、欅平まで20・1キロが全線開通しました。これが黒部峡谷鉄道の原点です。

並行して、柳河原発電所を皮切りに、水力発電所が次々と建設されていきました。洪水や雪崩に阻まれる難工事だったそうです。世紀の難工事といわれた黒部ダム(通称・くろよん)建設の苦闘を描いた、三船敏郎、石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」を思い出しました。山深い峡谷で、困難な作業にあたった先人たちの労苦が、今も主に関西地方の産業や生活の一端を支えているのです。

宇奈月から欅平へと、トロッコ電車は黒部川を遡るように、山際を蛇行しながらゆっくりと走っていきます。途中、数多くのトンネルを車輪を軋ませながら通り抜ける窓なし車両に揺られながら、そんなことを考えていました。
緑が濃くなる山肌、エメラルド色の水面、山際に残る根雪…。大自然の景色に見とれながらの片道約1時間20分の旅でした。欅平では、帰りの電車が来るまでの間、朱塗りの奥鐘橋を渡り、人喰岩あたりまで散策しました。

当時、電源開発に携わる工事関係者らを癒やすため、開拓地から引湯し、誕生したのが今の宇奈月温泉です。それまでは、桃原と呼ばれる桃の樹林が広がる無人の台地だったそうです。
宿泊したホテルで温泉に浸かりました。とても熱く、体の芯から温まりました。ホテルにはアカマツをくり抜いた引湯管も展示されていました。自然と先人からの恵みの湯、ありがたいですね。
次は立山黒部アルペンルートを訪れ、「くろよん」を見てみたいと思っています。




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