安倍元首相の銃撃事件は、「政治的テロ」を糾弾する当初のトーンは薄れ、政治家と旧統一教会の関係にもっぱら焦点が当たっています。9月27日の国葬については依然として異論が多く、国葬を即決し、内閣改造も前倒しした岸田首相にとっては、不本意な状況で迎えることになりそうです。首相の思惑はともかく、気がかりなのは、このままでは、国葬が近づくにつれ、どう向き合えばいいのか、国民の間にますます迷いが広がっていくのではないかということです。
安倍元首相が白昼、参院選の応援演説中、銃弾によって殺害されるというショッキングな事件は、「民主主義への挑戦」などと事件直後に論陣を張ったメディアの見立てとは違う方向に進みました。もともと旧統一教会が標的だったという容疑者の狙い通り、教会の問題を表面化させるきっかけになったのは間違いありません。不幸にも、それが安倍氏の命と引き換えだったと考えると、事の重大さにあらためて思い至ります。
旧統一教会との関係を認めた政治家は、今後は一切の関係を断つと言います。単に「絶交」を表明するだけの横並びの言葉は上滑りしているようでしかたありません。5年、10年も経てば、水面下で再びもたれ合いに戻ったりしていなければいいのですが…
今こそ、うやむやになってきた霊感商法やカルトの問題解決に政治が積極的な役割を果たす決意を示すときなのに、残念ながら、岸田首相や教会との関係が取り沙汰された政治家、なかんずく安倍氏に近かった人からも、そうした言動は伝わってきません。
長期政権を築いた安倍元首相への評価が定まらない中、凶弾に倒れた安倍氏の安らかな眠りを願う気持ちは国民の間に落ち着いていくのでしょうか。政府は弔意を求めないとしていますが、そもそも国葬とはいったい何なのか。
賛否両論の中の実施といえば、東京五輪を思い起こします。あの時も世論が一つにまとまらない中で開催されました。「分断」なんていう言葉が再び軽々しく使われる風潮を助長しないためにも、岸田首相が安倍元首相の国葬の意義を丁寧に説明することが必要です。日本の民主主義が試されているのです。私たち一人一人も、迷いつつも向き合い方を考えてみたいと思います。その上で、態度の違いを認め合うことが健全なのではないでしょうか。


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