「貯金するように、時間を貯めたいわ」
所用があって実家に立ち寄った30代の長男が実感を込めてつぶやいた。聞くと、今は仕事がそんなに忙しくなく、プライベートを含めて時間をやや持て余しているというのだ。
きょうは用事がなくて暇だから1時間貯めておこう、あしたは趣味を楽しみたいから貯めた2時間を引き出して使おう。そんなことができれば、確かに便利かもしれない発想だと興味深かった。
「時は金なり」といわれるように、時間とお金はよく関連づけて語られる。ただ少し考えてみると、お金は増えもするし減りもする。人によって保有額に多い少ないもある。有効に使うも無駄に使うも、そこには人の意思が働く。
対して、時間は増えもしなければ減りもしない。時間よ止まれと願いたくとも、人の意思に関わらず時間は淡々と進む。世界中、誰の1分1秒も1時間も定量的には差はなく、人類が都合よく考え出した平等な概念だ。
生まれてから死ぬまでを合計した時間=寿命には差があれ(人間は根本的に平等でないと思う所以だ)、一生の時間は消費される一方で、時々刻々とゼロに近づいていく。貯めようと思えば少しずつでも貯められるお金とは違うのだ。
物やサービスをお金で買う。それは、その物を作ったり、サービスを提供したりすることに従事した人がそのために費やした時間を買っていることにもなる。人間社会は一人一人の時間をお金を媒介にやり取りして成り立っていると言えなくもない。
ただし、時間そのものは買えないから、例えば1日24時間を36時間に増やす裁量は与えられていないわけだ。共通通貨のように、時間を1秒単位で売買する世界はフィクションならあり得るか?
さて現実、時間は貯められないのであれば、できることは、限られた時間を有効に消費するか、健康寿命を延ばすよう努めるか、といったことにやはり行き着くだろう。お金を有益に使うことも、回り回って時間を有効に使うことにつながるかもしれない。時間もお金も、もったいない使い方はしたくない。「 Time is Money」をあまり力み過ぎることなく意識していたいと思った次第だ。


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